目次
1. 高齢者で白内障手術リスクが高まる理由
1-1. 全身的な合併症・持病の影響
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心血管疾患(心臓病、高血圧など)
高齢者では心臓や血管に負担のかかる基礎疾患がある方が多く、手術時の麻酔(点眼麻酔に加えて静脈麻酔を少量併用する場合もある)だけでも循環器系に影響を与える可能性があります。
糖尿病・高血糖
術後の創部感染リスクや炎症が起こりやすく、回復が遅れることがあります。また、糖尿病網膜症や黄斑浮腫など網膜疾患を合併していると、視力の回復が制限される場合があります。
認知症や認知機能低下
手術中の長時間の安静が難しい場合や、術後の点眼操作・受診の誘導を理解しづらい場合があります。
1-2. 眼そのものの変化
角膜内皮細胞の減少
加齢とともに角膜内皮細胞(角膜の透明度を保つ役割をする細胞)が減少しやすくなります。白内障手術で超音波乳化吸引を行うときに一時的に衝撃を受けた角膜内皮細胞がさらに減少すると、術後に角膜がむくみやすくなり視界がぼやけることがあります(金属眼障害・術後角膜浮腫のリスク)。
虹彩・毛様体の萎縮
虹彩(黒目の部分を囲む色のついた膜)が薄くなっていることがあり、術中に瞳孔が十分に開かず、操作が難しくなる場合があります。これにより、術中の合併症リスクがやや上がります。
硝子体の液化・剥離
高齢になると硝子体(眼球を満たしているゼリー状の組織)が液化し、網膜が剥がれやすい(網膜剝離のリスクがわずかに増加)傾向があります。白内障手術自体は眼の前方(房水のある前房・後房)で行いますが、術後に急激に眼内の水流が変わることで硝子体牽引が起こり、網膜剝離のリスクが高まるケースがあります。
2. 高齢者で特に注意が必要な代表的な術前リスク
2-1. 麻酔・鎮静に関するリスク
心疾患や肺疾患への負担
多くのクリニックでは局所麻酔(点眼麻酔)を中心に、緊張緩和のために鎮静薬(軽い静脈注射)を併用することがあります。高齢者では、鎮静薬が呼吸抑制や血圧低下を引き起こす可能性があります。術前に循環器内科や呼吸器内科の主治医と連携し、他科での検査を十分に行うことが大切です。
認知機能低下・せん妄リスク
高齢者では、術後にせん妄(急に落ち着きがなくなったり混乱したりする状態)が生じやすいとされています。せん妄を予防するためにも、可能な限り術中・術後の過度な鎮静を避け、環境整備(慣れた家族の同席など)を行うことが有効です。
2-2. 眼前部(角膜や虹彩など)の状態評価
角膜内皮細胞数の測定
術前にスペキュラーマイクロスコープを使い、角膜内皮細胞の数を調べます。たとえば20歳代では3,000~3,500 cells/mm²程度ですが、80歳を超えると1,500 cells/mm²以下まで減少していることがあります。術前に500 cells/mm²を大きく下回るようであれば、術後の角膜浮腫リスクが高まるため、より丁寧な操作や術式の工夫(例えば低エネルギーの超音波を用いる、インジェクター法を選択するなど)が必要です。
瞳孔散大のしやすさ
瞳孔が十分に散大しないと、手術器具を操作するスペースが狭くなり、後嚢破損や虹彩触れなどのトラブルが起こりやすくなります。散大不良が予想される場合、術前に縮瞳を改善する点眼薬(フェニレフリンやアトロピンなど)を追加したり、術中に虹彩フックを使用したりして、手術環境を確保します。
2-3. 眼底疾患の合併
糖尿病網膜症・加齢黄斑変性
高齢者には糖尿病や網膜疾患を合併していることがあります。術前に眼底検査やOCT(光干渉断層計測)で網膜の状態を確認し、黄斑浮腫がある場合は術前に抗VEGF抗体(網膜のむくみを取る注射)を打つこともあります。これを怠ると、手術後に視力回復が十分得られず、術後浮腫や網膜剝離リスクが高まります。
3. 高齢者に起こりやすい術中・術後の具体的合併症
3-1. 術中合併症
後嚢破損・前部硝子体脱出
硝子体が後ろから前に流れ出すと、術後に硝子体混濁を起こしたり、硝子体手術が必要になったりします。高齢者では水晶体嚢の線維化・もろさもあり、慎重な核破砕操作と丁寧な後嚢管理が不可欠です。
虹彩触れ・虹彩毛様体損傷
瞳孔が十分に開かない場合、超音波チップやインストルメント(操作器具)が虹彩に触れてしまい、術後に瞳孔周囲の癒着(虹彩炎症)が起こるリスクがあります。
過度な眼内圧上昇
超音波乳化吸引中あるいは水液交換で過度に眼球内圧が上がると、術中に網膜剝離や中心網膜動脈閉塞症(視神経への血流が途絶える)など重篤な合併症をきたすことがあります。高齢者では網膜循環が脆弱になりやすいため、パフォーマンスモードでゆっくり核を崩す、インフュージョン圧を低く保つなどの工夫が必要です。
3-2. 術後合併症
術後感染(眼内炎)
高齢者では免疫力が低下気味であるうえ、糖尿病などを合併している方が多いため、術後感染のリスクがやや高まります。術後1週間以内に強い眼痛や赤み、まぶたの腫れ、急激な視力低下が見られたら眼内炎を疑い、緊急で抗生剤点滴+点眼治療が必要です。
術後眼圧上昇
術後1~3日目に目の中の炎症やレンズ周囲の浮腫により眼圧が上がりやすくなります。放置すると緑内障性視神経障害を招くため、眼圧をこまめに測定し、必要に応じて点眼(β遮断薬やプロスタグランジン系など)でコントロールします。
角膜浮腫・角膜混濁
術中に受けた内皮細胞のダメージによって、術後数日〜数週間にわたり角膜がむくみ、視界がぼやけます。特に内皮細胞数が少ない高齢者では、この浮腫がしばらく残ることがあります。内皮保護剤を含む点眼や、角膜浮腫改善目的の軟膏を使って症状を和らげます。
後発白内障
術後数か月〜数年経ってから、後嚢が再び濁る(後発白内障)ことがあります。高齢者だからと特に頻度が高いわけではありませんが、発症した場合は数分で終わるYAGレーザー後嚢切開術で改善します。
黄斑浮腫(Cystoid Macular Edema:CME)
手術による炎症が網膜の黄斑部に波及し、中心部にむくみが生じて視力が回復しにくくなることがあります。高齢者で網膜血管の弾力が低下している場合、起こりやすい傾向があります。術後は抗炎症点眼をしっかり継続し、必要に応じて抗VEGF抗体(硝子体内注射)やステロイドテノン嚢下注射を行い、黄斑浮腫を抑制します。
網膜剝離
術後半年以内にごくまれに起こりますが、高齢者では硝子体の液化・牽引が起こりやすいため、比較的若年者よりもリスクは若干高くなります。網膜剝離が疑われる場合は、視野欠損や飛蚊症(まぶたの前に黒い点や糸くずが見える)などの自覚症状が出ることが多いため、その際はすぐに受診が必要です。
4. リスクを抑えるための術前術後の対策
4-1. 術前の全身評価とコントロール
循環器内科・呼吸器内科受診
心電図・胸部レントゲン・血液検査(腎機能、肝機能、炎症反応など)を行い、手術に際して麻酔リスクが高くないかどうかを必ず評価します。必要なら内科的管理(降圧薬や抗凝固薬の調整など)を行ってもらいます。
血糖コントロール
HbA1cが高い場合は術前に内科での指導を受け、できるだけ正常範囲(目安:HbA1c 7.0%未満)に近づけることで、術後の感染リスクや炎症リスクを下げることができます。
術前点眼
白内障手術前から抗菌点眼や抗炎症点眼を開始することで、術中・術後の感染および炎症リスクを軽減します。
4-2. 術中の工夫
低エネルギー・短時間乳化吸引
超音波出力や時間を最小限に抑える「ロー・エネルギー戦略」を採用し、角膜内皮へのダメージを減らします。
前房安定化剤の使用
リング型の前房維持チューブや高粘度の粘弾剤を使って、術中の前房深度(スペース)を一定に保ちます。これにより、後嚢破損や前部硝子体脱出のリスクを下げることができます。
瞳孔拡張のサポート
瞳孔が開きにくい場合は、最初から虹彩フックや瞳孔拡張の器具を準備し、確実に作業スペースを確保します。
4-3. 術後のケアと定期チェック
点眼管理
- 抗菌点眼は術後1週間程度、1日4~6回を目安に継続
- 抗炎症点眼は術後1か月程度、1日4~6回継続し、必要に応じてステロイド量を徐々に減らす
- 眼圧降下点眼(術後高眼圧予防)の併用が必要な場合もある
定期受診スケジュール
- 術後翌日(状態チェック、眼圧測定、視力検査)
- 術後3~5日目(眼圧・炎症の経過観察、点眼変更の検討)
- 術後1週間(メガネ度数の相談、視力確認)
- 術後1か月(眼底検査、黄斑のむくみチェック、点眼終了の判断)
- 術後2か月以降(半年~1年に1度の定期健診)
ドライアイ・角膜保護
高齢者では術後にドライアイ症状が強く出ることがあります。人工涙液やドライアイ用点眼を積極的に使い、角膜の保護を行いましょう。
5. 高齢者が白内障手術を受ける際の判断ポイント
生活の質(QOL)への影響
- 視力低下で日常生活(読書、料理、テレビ視聴、歩行など)に支障があるか。
- 転倒リスクの増加(視界がかすむと段差などが見づらく、転倒事故を起こしやすくなる)。
全身状態とリスク許容度
- 心疾患・肺疾患・脳血管疾患・認知症などの既往があるか。
- 家族のサポート体制があるか(術後の生活サポート、通院の付き添いなど)。
術後の期待値
- ご本人の「どのくらい見えるようになりたいか?」という希望。
- 多焦点眼内レンズや調節型レンズの選択肢が望ましいかどうか。高齢者ではコストやレンズ適応を含め、慎重に判断する必要があります。
高齢者であっても、視機能が下がって転倒や認知機能低下につながるリスクを避けるために、適切な時期に手術を受けることは非常に有益です。逆に、全身的に大きなリスクがある場合や「現状の見え方で十分満足している」という場合は、定期的な検査を行いながら手術を見送る判断もあります。
6. まとめ
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- 高齢者では全身的な持病や眼そのものの加齢変化で、白内障手術リスクが高まる
心血管疾患、糖尿病合併、角膜内皮細胞減少、虹彩散大不良などが代表的要因。 - 術前に綿密な全身評価と眼科的評価が必須
循環器・呼吸器領域の検査、血液検査、視力・眼底・OCT検査、角膜内皮数測定などを行い、リスクをできる限り低減する。 - 術中は低エネルギー戦略・適切な散大・前房安定化を徹底し、合併症の頻度を下げる
安全な超音波乳化吸引法、術中の強い圧力上昇回避、虹彩フックの使用など。 - 術後は点眼管理と定期受診をしっかり行い、炎症・感染・眼圧上昇・黄斑浮腫などの早期発見に努める
高齢者ほど免疫力低下や角膜浮腫が出やすいので、こまめなフォローが重要。 - 手術を受けるかどうかは「生活の質(QOL)」「全身状態」「術後の期待値」を総合的に判断し、患者さん本人とご家族が納得したうえで決定する
- 高齢者では全身的な持病や眼そのものの加齢変化で、白内障手術リスクが高まる
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高齢になるほど「手術そのもののリスク」と「手術を受けないことで視機能が低下した場合のデメリット」を比較検討する必要があります。
白内障手術は近年安全性と有効性が飛躍的に向上していますが、高齢者の場合は特有の合併症リスクもあるため、眼科医と十分に相談しながら慎重に計画を立てましょう。